”レイキ”マッサージ体験しました

セラピストを目指している友だちが

レイキマッサージを施術してくれることになりました。

そもそもレイキってなに? 

レイキとは、自然体の人間に備わっている「気」、「エネルギー」だそうで、そのエネルギーを使って、癒していくそうです。

なんだか、よくわからないけれど、疲れていたので、「ぜひぜひ」と、やってもらうことにしました。

まずは、簡単な問診。

そして、マッサージのようにマッサージベッドに横たわり

彼女が、体にふれることなく、手からでるエネルギーで頭から順に施術していきます。

実際に揉んだり、押すわけではないのに、施術したところから、じんわり温まってくるのを感じます。

全身で30分くらいやってもらっていました。

頭の中は空っぽで、ただ、あったかいなあ、気持ちいいなあと思うだけ。

うたたねをするときのような、現実と夢の世界を行ったり来たりしているときのような

そんな感覚でした。

終了後、彼女が選んでくれた、バッチフラワーを白湯にたらしたものを飲みました。

(バッチフラワーも、ここのところ気になってたもので、偶然、目にすることと体験することができて、あとで、その話で友だちと盛り上がりました)

術後の感想は、お風呂に入った後のような感覚で、リラックス。すっりしました。

 

 

なんだか、不思議な体験でしたが、また受けてみたいと思いました。

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時をためて、楽しみに待つこと        ~『人生フルーツ』を観て

『人生フルーツ』という映画を見てきた。

ひさしぶりに映画館で見た。

短い期間の上映だったが、けっこう入っていた。

東京に行ったときにみたいと思っていたのだが、

偶然、近くの映画館でやるというのを観て、

朝一番で車をとばし、子どもの習い事の最中にみることができた。

人生について、この先について、

自分にとって大切なことってなんだろうか。

映画の最中から、津端夫妻を通じて、自分と話し合っていた。

 

津端夫妻の生き方を見て、

こうありたいと心の中でずっと思い描いていたものが

はっきりと形になってきた。

 幼稚かもしれない

 少女趣味かもしれない

 将来の目標や夢って、

 何かを成し遂げるとか、上昇志向のあるものでなければ

と思い封印していた。

 ・・私は大草原の小さな家のような半自給自足の生活がしたい・・・

 学生の頃もずっと心の底にあったのはそれだった。

ただ、そんなことは幼すぎる。

それは夢物語の夢であって、将来の夢ではない。

ことあるごとにその夢が頭をもたげたが、知らず知らずのうちに心の底に沈めていた。

 

当時は、情報を得る手段もなく、みんな、なんとなく、偏差値の輪切りで受験し、都会へ出た。

 ただただ乗り遅れないように、次に来た電車に最短で乗るように就職した。

きっと、今なら、WWOF使うとか、いろいろ考えることができたかもしれない。

でも、当時、今ほど農的なくらしや日常の生活に目を向けたものを目にすることもなかった。

できない理由を考えていた

 いまからじゃ農的な暮らしなんて無理。

家族で移住なんてできないし、仕事は?収入はどうするの。

エコな生活とか、あんなストイックな暮らしができないならやる資格がない。

  「できないこと」にばかり目を向けていた。

そう思いながら、いつのまにか40代になってしまった。

 

だからといって、実際問題、いろいろ考えると今はできない。

もう、40代でできないなら、もう何も新しいことなんてできないと農的な暮らしはあきらめていた。

映画を観る前は、

津端夫妻は、家柄もよくて、すべて持ってるからできるんだ。

自分たちとは違うんだ。

と思っていた。

それは、事実でもあるけど、やらないための理由にような気がする。

 「ちいさなことから、できることから、コツコツと」

「時をためて、楽しみに待つ」

 心の中にしみいるように、津端さんの言葉が入ってきた。

そうだ、今できないなら、できることをやろう。

そして待てばいい。

人生まだ何十年もあるじゃない。

もっともっと先を・・・

「少女趣味かしらねえ」なんていう津端秀子さんの笑顔が忘れられない。

ずっと少女でいいじゃない。

大草原の母には、さすがに、もうなれないけれど、

大草原のおばあちゃんにはなれる。

 

全く同じようにはできなくても、自分の理想の生活に近づけていくことはできる。

理想の生活をすることが目的ではなく、

理想の生活に近づけていくことを楽しめばいい。

津端夫妻の人生を賭けた、次の世代へのメッセージが

私の心に届いた。

 

少しずつ、少しずつ、時をためて。

 

映画『人生フルーツ』公式サイト

 

  

ききがたり ときをためる暮らし

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あしたも、こはるびより。: 83歳と86歳の菜園生活。はる。なつ。あき。ふゆ。

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「できない」を受け入れて          「感謝」するほうがしあわせ

数年ぶりに友人と会った。

出張で彼女の住む近所に行くことになり,

ちょっと空き時間ができたので

突然だけれど連絡してみた。

そういえば最後に会ったのいつだっけ・・・?

この前あったのは、下の子が幼稚園入るって話したよなあ・・・

なんて思い返すと、なんと2年以上前。

それでも、会えば、先週も会ったかのようにおしゃべりは続いた。

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新しい働き方

彼女も二人の子どもがいるが、今、パートでホテルで働いているという。

しかも、夜のシフトで働いているという。

理由は明確。

「昼間働いたら、自分の時間がなくなる」

昼、幼稚園にお迎えに行き、子供と少し遊び、小学生の子を「おかえり」といってから仕事にいくという。

幼稚園に行ってる間に、夕飯の準備をしておいたり、

買い物に行ったり、ジムやランチに行っているらしい。

夜は、義母や旦那が子供と食事をとり、風呂に入れたりするという。

パートなので、シフトがない日は旦那は飲みにいったり、家族で過ごすこともできる。

10時には帰宅するので、小学生の子とはお風呂入ったりすることもできるという。

「元気なばあば」という強い味方がいるから、できることではあるけれど、

この話を聞いたとき、同性である私ですら

「一瞬、なんて贅沢な・・・」と思ってしまった。

そして、「昼間働かないの?!」と思わず、聞いてしまったくらいだ。

なかなかこの「自分のため」に義母や旦那さんの負担が増える働き方を貫き通す姿勢はできるようでできない。

ばあばのサポートがあるなら、昼間働くことだってできる。

ふつうに考えたら、子どもが学校に行っている間に仕事に行く。

帰ってきて、家事をやる。

すごく、彼女らしいと思った。

「羨ましいなあ。なんでそんな風にできるの」と聞いてみた。

聞くと、育児ノイローゼになってしまったという。

子どもたちが帰ってくれば、宿題のことやら片付けだったり「食事を作る」だけでなく、次から次へとなんだかんだとやることがあり、子どもたちが寝るまで、自分の時間なんてない。

もちろん、子どもたちへのイライラや怒ることも多くなる。

それで、朝起きて、仕事行ったら、また、朝から時間に追われてイライラするし、

一日中怒ってばかりになってしまうという。

自分のペースを守るためには家族に悪いなと少しは思うけど、

この方法しかないという。

 

いままでは、イライラしていたけれど、今はみんなが協力してくれるから、感謝できるという。むしろ、家族がいるから自分がいられるという気持ちになる。

たしかに・・・

片付けひとつとっても、帰ってきてから、一人で片付けるのと、

子どもがいる中で片付けるのでは、時間も労力も段違いだ。

凝り性のところがある彼女だと、家のことも完璧主義なのかもしれない。ここに至るまでにいろいろあったんだと思う。

「悪いな」という気持ちを受け入れて「感謝」するほうが幸せ

本音をいうと「羨ましい」だった。

 はじめ、話を聞いて、もやもやとした気持ちになった。

いやいや、フルタイムで働いている私の立場は・・・

自分の時間って・・・

彼女の話を聞くにつれ、

でも、「悪いな」という気持ちを受け入れて「感謝」しているから

できているのだと思った。

私はといえば、

旦那が片付けをしはじめると、

「ありがとう」よりも、「今やろうと思ってたのに・・・」とイラっとしてしまう。

あれもこれも、自分がやらなきゃって勝手に思ってしまう。

そのイライラに旦那が気づき、「なんだよ、やってるのに」と言葉には出さなくても、イライラ返し。そして、イライラのループ。

お互いに働いているのだし、お互いに何かやったら「ありがとう」でいいんだ。

「わたしはなんにもできない」と思っているものの、できない自分を受けいるようで受け入れてない。

「『できない』のに頑張ってる私をみて」アピールよりも、

彼女のように、「これはできない」ときちんと相手に伝え、お願いし、感謝する方が

まわりにとってもHAPPYなんだと思った。

仕事でも、家でも、自分に置き換えて考えると、

「わたし、こんなに仕事してます」「俺、しんどいんだぜ」って無言のプレッシャーかけられるよりも、「ごめん、手が空いてたらこれやってもらえるかな」って言われる方がいい。そのうえ、「ありがとう!次手伝うね」って言われたら、やることは実際増えているのに、ぜんぜん嫌な気がしない。

 嫌な感情を受け止めた先には

いままでだったら、羨ましがってる気持ちに目をそむけ、話の中身云々よりも、嫉妬心のようなモヤモヤしたものだけが残るだけだった。

友だちとはいえ、自分の嫌な気持ちは隠してた。

「羨ましいなあ」って声に出せたから、彼女の背景や考えに届くことができた。

できるかどうかは別のこととして、

視点の切り替えスイッチを入れることができた。

 

旦那にも子どもたちにも、イライラしっぱなしの自分といるよりも

このくらいがきっといいと思う。仕事に行くのも楽しみだという。

「だから、こうして青豆とも会えたし」と笑った。

自分のペースをみつけた彼女は楽しそうだった。

 

夏休みスタート

こどもたちが待ちに待った夏休みがスタートしました。

わたしも夏休みがあるわけではないけれど

お盆やお祭りの準備、

いつどこにいこうか、なにしようか

なんだかわくわくするします。

6時台に神社にラジオ体操に行くので

朝から家の前で子どもたちが遊び始めます。

 

会社とのギャップ

ここでは、朝からハイテンションの子どもたちの声で

「夏休みモード」なんですが

会社につけば

ただの「7月」「8月」。

わたしもいつもよりも若干テンション高くなっているので、

なんだか寂しいような気がします。

子どもたちがいなかったら、

地域の小さなお祭りが

いつやっているのかも知らないし、

近所のプールに行くこともなく、

お盆にお墓参りに行くぐらいで

いとこたちとワイワイと遊ぶこともなかったです。

近所の子たちと花火をしたリ、

汗をかきながら、

オシロイバナの色水をつくったり、

水をまいてみたり・・・

もう忘れていた、普通の夏の記憶を

追体験できるのは、

朝から大変ではあるけれど、

大げさだけれど

生活している実感があり、幸せだなと思います。

 

忙しいけれど、

子どもたちにも

そんなごく当たり前の夏の記憶や

素敵な夏休みの思い出をたくさんつくってあげたいな。

 

サマージャム ’95

サマージャム ’95

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

をかきながら走り回って

 

 

サカナクション10thライブに行ってきました

サカナクション10thライブ

東京ではなく、地方公演もある!

さすがファン思いのサカナクションです。

今回は初めて「子どもペアシート」に応募しました。

1階のちょうどせりあがった通路前がみんな子ども席なようです。

前すぎず、真ん中で見やすい。

そして出入りもしやすい。

チームサカナクションのみなさん感謝です!

ライブハウスではなく市民ホールなので、

座席指定だしもみくちゃにされることもないし、

疲れたら座ればいいし、

長時間ライブの初の娘にとってはベストです。

演出が凝っているサカナクションライブを市民会館で

どうやるのか、それともそういう演出はしないのか?

やらなくても絶対期待は裏切らないサカナクションライブなので

どんなふうになるのか楽しみでした。

予想以上の演出

レーザーやスクリーン映像など凝りまくってて

ここ合唱発表会やったところだよね!?っていう本当にすごいの一言です。

これから行く人は期待度120%で行ってください。

アンコールでは、人気投票10曲の中からガラポンで決めるという企画。

個人的にENDRESS希望でしたが

そこは外れました(;^_^A

初ライブで曲も数曲しか知らない娘も

踊りまくり、演出に感激し、「絶対次もいく!」と言っています。

 

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 ライブ終了後は写真撮影できるんです

 

サカナクションライブは、すごくファンの人じゃなくても

曲を知らなくても、楽しめます。

年齢層も意外と広く、学生っぽい人から私のような4・50代までいます。

カップルや夫婦の人、友だちグループの人、家族、一人の人、

男女もいろいろで参加しやすいと思います。

雰囲気もバラバラです。

何着てけばいいのか迷う場合、

まず踊れる恰好です。

あとは、会場グッズのサカナクションTシャツもおしゃれなんで

購入して着替えちゃば、速攻で会場で馴染みます。

 

子どもの学習とほたるがり

もう時期は過ぎてしまいましたが

今年もたくさんの蛍が見られました。

車で10分くらいの川のあちこちにたくさんの蛍が生息しています。

ちょうど小学2年生で「蛍の一生」という内容を学習するので

百聞は一見に如かずということで、

長女が小学生になったころから

毎年、6月中旬になると見にいっています。

 

今年も近所の子たちと見に行きました。

日が長いので

空に明るさが若干残っている中、歩いたのですが

川に近づいていくと

次第に街灯がなくなっていき、水辺は、芦や木々で真っ暗。

真っ暗な闇の中、目が慣れてくると

墨絵のように、月明かりに照らされる川や生い茂る草陰に

チラチラと蛍が!

奥へ進むと

立派な木のまわりに

まるでクリスマスツリーのように

蛍の明かりが乱舞しています。

 

 

子どもたちは、

自分たちのまわりに飛んできた蛍を追いかけたり

「きっとバイバイって言いに来たんだね」

「来年もまたくるね」

などとかわいらしい会話の中に

「でも、卵産んだら死んじゃうから来年死んでるよ」

「赤ちゃん蛍(=幼虫)は気持ち悪いよ」

など習ったことや調べた蛍の生息について現実的に語っていました。

 

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近所のおじさん情報だと

卵を産み付けるので、雨上がりがいちばんたくさんいるそうで、

19時半から20時くらいが一番見られるそうです。

放流するのは、強く明るい光の源氏ボタルが多いらしく

近所にいるのは平家ボタルらしく、弱い光ですが風情があるそうです。

 

 

昔は「ほたるがり」などと初夏の風物詩にあげられるほど

こういう風景がそこかしこにあったのかなあと思いました。

電気のない時代、蛍の数も多いし、

もっともっと、蛍の明かりが強く感じたのかもしれません。

浮世絵のように

浴衣姿でうちわであおぎながら

蛍を見ながら涼むなんて、風情があって素敵ですね。

今も、川のそばにいくと、涼しい風がふいていて

目でも体でも涼を感じます。

季節をしっかりと感じられる生活に

幸せを感じました。

 

いまできることはなんだろう

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ここ最近、調子が悪く

どうにもこうにも年齢というもには

抗えないのかなあ

と思いました。

しかし、

いいこともありました。

うまく言葉にできないのが

かなしいのですが

いいうねりが

来るような予感。

あくまでも予感であって

何が来るのかすらもわからないんですが

第六感です。

 

乗れるような波がなくて

ちょっとの波でも無理やり乗ろうと

必死で漕いでも乗れなくて

やっといい波がきた時には

へとへとだったり、焦りすぎて乗れない。

もちろん下手だから乗れなくて悔しい。

そんなとき、ちょっと待ってみる。

丁寧に確実に波をとらえて。

そうすると板が滑り出す。

 

 

ひとつひとつを

丁寧に観察していくことで

自分の感覚も素早く何かをキャッチできるような気がする。

 

じたばたしたり、

焦ってもがいたり・・・

それがあって、うまく乗りこなせていくんだろうな。

いきなりスマートになんかできない。

上手くみせたくて

必死で漕いでるのがかっこ悪くて

やらないうちは

なにも始まらない。