『一汁一菜でよいという提案』はただの家事負担を減らす話じゃなかった

『一汁一菜でよいという提案』土井善晴著をよんで

 

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

 

 

Palsystemの記事を拝見し、気になっていた本

記事だけ読んで、最低限の家事(食事)で

主婦の肩の荷を下ろそうというような本で

具だくさんの汁物レシピが掲載されているのかと思ったら

いい意味でぜんぜん違かった。

きっと、自分の中のベバイブルになる素敵な本でした。

記事を読んで、夕飯づくりに追われてイライラするなら

これもありかも、なんて考えて読んでみようと思っていただけけなのですが、

マクロビなどに通じるような

哲学的な生き方の本でした。

一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。

一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、

日本人としての「生き方」だと思います。

『一汁一菜でよいという提案』土井善晴

 

 

「ハレ」と「ケ」

このなかで、「ハレ」と「ケ」の文化について書かれています。

確かに、このスタイルからしたら

今は、毎日が特別料理です。

 

私の祖母は料理が得意ではありませんでした。

祖母は何も困っていないようでした。

実際、祖母が作るのは

味噌汁・ごはん・常備菜。あとは魚を煮たり、目玉焼きだったり。

母のように、凝った料理や洋風のものが作れないだけでした。

昔はどうしてたの?と聞いたとき

だって、揚げ物だとかはお肉屋さんで買えばいいし、

ハンバーグや洋食はお店で食べればよかったのよ。

といっていたのを思い出しました。

街へおでかけした日に、揚げ物を買ってお土産にし、特別な夕飯にする

たまにおしゃれして、洋食屋さんやお寿司屋さんでいただく。

そんな生活だったのだと。

 

「一汁一菜」=「お鍋+ごはん」ですよね?!

栄養はきっとあるし、子どもたちは喜んでいるけど

手抜き料理かなと少し後ろめたさを感じていたものが

すっとなくなりました。

 

bluebeans732.hatenablog.com

子どもが生まれる前まで、趣味は料理・お菓子作りでした。

ダンナの帰りも遅かったし

外食も多かったから

まっすぐ仕事から帰って、夕飯を作って食べ、

夜、時間があるとケーキを焼いたりするのが

ストレス解消でした。

なのに、二人の子供と共働き生活の中、

毎日、以前のような料理を作らなきゃと思っていると、

イライラし、料理が好きだったのに

楽しめなくなっていました。

一時、半調理品での時短をやったときは

なにかしっくりこなくて、すぐにやめてしまいました。

 

この本の中で「食べ飽きないもの」として、

 ごはんと味噌汁のすごいところは、毎日食べても食べ飽きないことです。食べ飽きない食べ物というのは、どういうものでしょうか。

(中略)

 だいたい、人工的なものというのは、食べてすぐにおいしいと感じるほどに味がつけられています。そういった人口的な味付けをしたおかずというのは、また、すぐに違う味付けのものが食べたくなります。

また、

プレッシャーをまともに受け取った人たちは、加工食品を使って、別の食材と混ぜ合わせるとか、出来上がったものにトッピングしたりして

(中略)

わたしにはそちらのほうが手抜き料理に見えます。

と書かれています。

「まさにそういうことか」と。

 

いい意味で、手を抜く加減を覚えてから

また、お菓子をつくってみようと思えるようになり

料理が楽しみに変わりました。

 

むしろ、春になっても

本当の意味での一汁一菜の生活を

やってみようという気持ちになりました。

今後の家族の反応や自分自身の変化が楽しみです。