毎年の恒例のお月見

今年の十五夜さんは10月4日でした。

雨続きで、お月見は無理かなと思っていましたが、

雲の合間から月が顔をのぞかせてくれました。

月が照らしだす、暗闇に浮かびあがるグレーの雲はとても幻想的で、

かぐや姫が吸い込まれていきそうでした。

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娘も、お月見を楽しみにしていて

「お月様、喜んでるよね」とかわいらしいことをいいながら、

あーでもないこーでもないといいながら、

ススキや秋桜を活け、お団子や野菜、果物、お菓子まで飾り、

まるでお盆飾りのよう(笑)

 

この時期の月は黄金色にこうこうと光り、明るく輝くせいか、

絵本のワンシーンのようです。

見上げるだけで、なんだか月のパワーをもらえるような気がします。

ずっと昔から、こうして、秋の虫の音を聞きながら

月をめでたり、祈ったりしてきたんですよね。

そんな遥か昔の人に思いをはせてみたりして・・・

 

娘二人もあと数年で、それぞれの生活をするようになるでしょう。

いつか、ふとしたときに月を見上げてくれたらいいな。

そして、昔の十五夜のことをちらりと思い出してくれたらいいです。

 

うまくいかないことがあったりしても

夜空を見上げ、それが寂寥感漂う月であったとしても

「きれいだなあ」と感じ、

風の音や虫の音に耳を傾ける気持ちがあれば、

きっと大丈夫、そんな気がします。

 

bluebeans732.hatenablog.com

 この時の月夜に決意したミニマムクローゼットへの道はまだまだ長いです(笑)

 

 

 

栗しごと

栗の季節ですね

台風の予報があったので、雨で栗が悪くなる前に出初めの栗を購入。

近所の栗を売ってるおばさんに頼んでおくと、いいのを選んで取っておいてくれます。

つやつやの大きな栗。

秋ですね~。

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栗といえば、必ずつくるのが「渋皮煮」

 難しいものではないのですが、時間と根気が必要です。

半日はかかります。

皮むきが面倒です。

母や義母にとって、栗の皮むきは苦行。

腕が痛くなるので、作るとすごく喜ばれます。

 

ちょうど、何の予定もなかったので、子供と遊びながら、作りました。

栗を渋皮をむくのをお手伝いしてもらいましたが、

「やさしくね~」と優しく伝えたのですが、結構な割合で、傷が・・・(笑)

家で食べるものなので、ちょっとくらいは良しとします。

(傷がつくと、栗の身が出てしまい、どうしても傷みやすくなります。マロンペーストにしちゃってもいいし、すぐに食べちゃえば問題なしです。)

まず、栗の皮をむきやすくするために、2~3時間つけて置きます。

大量の栗を、身を傷つけないように向くので、指がしびれてきます。

その後は、重曹をいれた水で煮立たせないようにあく抜きを2~3回します。

そのたびに、そーーーーっと栗を洗い、渋川の薄皮のみにするんです。

ちょっとでも、煮立たせたり、傷がついているとはぜてしますので、

それは栗ご飯行きです。

はぜたものを食べてみて、渋が抜けていたら、水で重曹臭さを抜くため、茹でます。

最後に、大量のお砂糖とひたひたの水でコトコト。

仕上げに、栗を取り出したら、水あめ・ブランデーで残りの汁を煮詰め、

栗を戻して完了!

各家庭によっていろいろな分量がありますが、目分量なので、 味見して確認です。

 

敬老の日には間に合いませんでしたが、

お義母ちゃんが大好きなので、美味しく食べてくれるといいです。

出来上がった頃には、外に涼しい秋風が吹いていました。

 

筆不精ならぬメール無精を解消したい

私は筆不精ならぬ、メール無精です。

LINEも、スタンプくらい送ればいいのに、

既読スルーになっていることがしばしば。

 

夫も同じ、いや、私以上なので、LINEすらやっていないので、

メールは「了解」しか返ってきません(笑)

まわりも似た者同士なので、そんな人が多いです。

なので、既読がつけば、「わかったんだな」という意味だし、

返事が1日後というの、わりとあります。

そういう友だちとばかり繋がってるわけではない

お互い、自分のスケジュールだけで返事ができないので、家に持ち帰り、家族の予定を聞き、回答するので、どうしても、2日くらいたってしまうのですが、

「今日、あの返事しよう」と思ってぐずぐずしていると、

そのあとすぐ、「どうだった?」と先に聞かれることが続きました。

そのときのバツの悪さ・・・。

「今、ちょうど言おうとおもってた」

とい言っても、それは嘘ではないんだけど、

とはいえ、2回目以降は、なんだか、言い訳にしか聞こえない。

 

 

 

私は、基本的に意識してやらないと、いつの間にか、時間がたってしまうところがあって、しかも忘れっぽいです。

だから、あとで、「返信しよう」と思っていると、

「返信した気」になっているときもかなり多いです。

言い訳をすれば、

気の利いた一言がメールだと思いつかないんです。

たとえば、「行けないけど、すごくいきたい」って伝えたいとき、

そのまま書いたら、

「じゃあ、都合のいい日変えましょう」といわれると

「いや、そこまで・・・」となってしまうし、

また、それをそのまま書いたら、

「社交辞令?」と勝手に受け取られかねないし・・・。

逆もまた然りで、

「誘って迷惑だったかな」とか考えてしまうのです。

こんな簡単なやりとりでも、

そのあたりのニュアンスを実際に会っていれば、わかるのに、

変な誤解が生まれてしまい、さらに、それを解消する言葉がうまく伝えられないことが多く悩んだ結果、時間がたってしまうという最悪の結果。

なんでこーなるの?

これがでちゃうのって、プライベートだけなんです。

仕事がらみや何かの役員とかの返事はすぐするんです。

たぶん、YESかNOの返事が多いことと、

相手にどう思われるかとかの感情がなく、

ただ、きちんと返事をしないと業務が滞るからという気持ちだけだから。

 

でも、これって友だちだって一緒ですよね。

相手の都合を考えたら、ちゃんとするべきです。

私が相手にどう思われるか、嫌われたくないを気にする自分中心な考えで

相手の都合とか何にも考えてない・・・

相手への思いやりにかけますよね。

いくら気心しれている友だちでも「親しき中にも礼儀あり」ですよね。

猛省しました。

バツの悪い気持ちが残るのもいやでした。

 

とりあえず即レスをこころがけようと思います!

表明しないとまた、同じようになってしまいそうなんで、

できないかもしれないけど、とりあえず、宣言。

 

 

『いもうとガイドブック』

お姉ちゃんとして、妹として

 我が家は、姉×妹。

しっかりものの妹と我が道をいく系の姉。

「昔のわたしみたいでしょ」と言いながら、次女が自分で借りてきた本を読み聞かせてくれました。

姉の気持ちを想像しながら、読んでいるのかな。

 

お姉ちゃんはあんまり妹に怒ることもないです。

5歳年齢差があるので、まあ仕方がないかと我慢しているところもあるのですが、楽しんでるとこもあり、きっと妹ながらにそういうお姉ちゃんの気持ちがわかる年になったのかなと思いました。

お姉ちゃん曰く、「お母さんとお父さんは100%大好きな人なんだけど、そこに妹が入るのはちょっと違う。」らしいです。

「妹がいて100%幸せかっていうとそういうわけでもなくて、一緒に遊んでて楽しくてもっと遊んでたいなって思ってるときもあるし、いないと静かでいいなとも思う日もあるけど、でも、なんだかんだやっぱり好き」

そんな気持ちを素直に描いている絵本です。

リアルに姉としての幸せや優しさ、寂しさや苛立ちを描く絵本もたくさんありますが、(それはそれで素敵なんですが(^^♪))

カラッとしてて、なんか海外っぽいなと。

 妹はたいてい さいしょは あかちゃんで びょういんから やってきます

私はこの冒頭の文章にやられました。

センスあります。おしゃれで笑えます。

 

ちょっと真正面から受け止めすぎてしんどくなったとき、

なんでも、こんな風に視点を変えたり、ちょっとわずらわしいこともきっと楽しくなりますね。ほんとユーモアって大切。

 

いもうとガイドブック

いもうとガイドブック

 

うちの 長女はそういうところが天才的に上手です。

だから、まさにこの中のお姉ちゃんはお姉ちゃん。

妹もよく見つけてきたなと目のつけどころがさすがです。

 

 

 

 

 

スイカの種からスイカがほんとにできた

夏の始まりに食べたとき、種とばしをしたら、ほんとにスイカができました。

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直径10cmくらいの小さなスイカでしたが、

中を割ってみるとちゃんと赤くなってる。

「めっちゃ甘いってみんな言ってたよ」と

いうので、試しに一口食べてみたら、甘くておいしかったです。

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残念ながら自宅ではなく、お友達の家の庭でできました。

お泊り会の時に、みんなで種飛ばしをして遊んだときのものをいただいてきました。

 

ほんとに種から食べ物ってできるんですね。

ちゃんと、肥料も入れているお庭の土だったからできたのだと思うけれど、

当たり前だけど、すごいなって思いました。

 

いつの日か家庭菜園ができるようになるのが楽しみです。

最近、思っていたものが少しずつ現実化してきた

ブログを始めたのと同時に「引き寄せノート」をつけ始めてました。

夜寝る前にちょっと今日あったいいことを書き出す。

ブログで紹介されている人も多く、ノートだったり、手帳だったり、

いろんな方法があるみたいですね。

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ameblo.jp

始めた頃は、みなさんの感想にもあるようになかなか書けない。

「コンビニで買ったおかしがおいしかった」

とかそんな程度のことでいいはずなのに、

それすらなかったり・・・

しかし、最近の書いたものを見返すと

「ぎりぎりで提出書類が間に合ったよかった」

「ヤバいって思ってたけど、大丈夫だった」(←なんの話だったんだろ)

「家族で食べた食後のアイス」

「新しいアルバム最高」

とか些細なことがいろいろ書かれている。 

本当に思っていたことが叶い始めた

効果があったのは、3か月くらいしてから。

私は、大金が入ったとかそんなことはなく、願っていたこと100%引き寄せるようなことはありません。

でも、些細な事はけっこう叶っている。

半信半疑でやってみたけど「引き寄せすごい」って思った。

最近では、

 読みたいなと思っていた本が新刊じゃないのに次に図書館に行ったら入ってた。

 単館上映の映画が偶然1週間だけ近所の映画館にきた。

 ヨガ教室に入れた。

 食べたいなと思っていたデザートをダンナが買ってきてくれた。

 好きなアーティストのライブチケットに当選した。

 完売であきらめていたワンピースが偶然見たネットショップに売っていた。

 長年、辛かった職場から異動できた。

 気になっていた人と知り合うことができた。

 不安に思っていた仕事がうまくいった。

 etc

私の場合、ほいほい引き寄せるというよりも「あきらめようかな~」と思った頃に願いが叶うかんじ。

引き寄せの法則については、たぶん、自分が「叶った」という体験にフォーカスしているから、「叶った」体験が強く思い出に残るからなのかなとも思う。

そして、引き寄せると願うことで自分が欲しいものの情報にもフォーカスしている。

だから、引き寄せることができるのかな。

それにしても、縁だとかそういうものには、スピリチュアルなものを感じるけど。

「引き寄せ」以外の効果

幸せ体質というのか、些細なことでも、「あーよかった」と感謝できるようになった。

いままでは1個嫌なことがあるだけで、オセロのように白がすべてが黒になっていた。

それが、そこに黒いものが置かれただけと思えるようになって、残りの白で「よかった」と思えるようになっていた気がする。

  

だから、なにかあっても、心のどこかで「最後には、なんかうまくいんじゃないか」って思えるようになってきた。

 

わたしにとっては、そういう風に思えることになったことが、一番引き寄せ効果かもしれない。

「なんかうまくいかないなあ」「最近、運がいまいちだな」

なんて人は、パワースポットに行かなくても、お守りを買わなくても、

思い立ったら、ノートとペンさえあればできるので、ぜひ、試してみてください。

 

 

 

 

 

 

ママ友は友だち?ママ友が欲しいんじゃなくて、いまいちな今から抜け出したかっただけ

ブログを読むと、けっこうボッチ育児って多いんだなって、今さらながら思った。

自分も子育て中、ブログだとか、そういう記事を見ればよかったなあと思った。

そうしたら、きっと自分似たようなこと感じてる人がいっぱいいるんだなって安心できたかもしれない。

まったくママ友ができない!?

長女が極度の人見知りでした。

公園行っても、支援センターに行っても、健診に行っても、ママと以外は遊ばない、近寄らない、話さない。

結局、だれとも話さず、帰宅。

子どもも楽しくなさそうだし、誘っても、行きたくないという。

(意志は、はっきりしていました(笑))

保育園の行事などで行っても、ママだけ、もしくはひとり。

だから、「○○ちゃんのママですか~」みたいな会話も一切できず・・・。

園にいるときは、楽しく遊んでいたようですが、園外で友だちと遊びたいといったことも一度もありませんでした。

だから、週末、一緒に遊ぼうとママ友に誘われても、娘が「行きたくない」というから、断るしかありませんでした。

娘のために友達を・・・と思っていたのは、表面上で、わたしが焦っていたのは、自分にママ友ができないことだった。

「羨ましい気持ち」だけはどうして隠していたんだろう

幼稚園の送迎ついでにショッピングセンターで集団で遊んで、お茶してるママが楽しそうに見えたし、一緒に、習い事したり趣味を共有しているママ同士の話がうらやましかった。

昔からの友だちが、それぞれの地域の中でママ友を作り、遊んでいるのを聞くとなんだか取り残された気がした。

   もちろん、そんな風に思っていることは、だれにも言えなかった。

ママ友話がでると、

「幼稚園ママって大変そう。めんどくさそうだね~」と言っていた。

それが100%嘘でも本音でもなく、めんどくさそうだと思うのが半分、うらやましさ半分だった。

 

学校が変わって、自分だけ新しい学校に友達ができていなくて、馴染めてない恥ずかしさに似ている。

参観日などで、わいわいしてる人たちをみて、一人の自分がなんだか恥ずかしかった。

学生時代のグループづくりなどでどこにも入れないような疎外感。

そのうち、そんな気持ちがなくなってきたのは、なんでなのか考えてみた

なんでそんなに欲しかったんだろう。

理由はひとつじゃないけど、やりたいことができてきたのがある。

今思えば、ふっきれたのは、洋裁を始めた頃。

時間があったら、あれ作りたい、ミシンを踏みたかった。

それがきっかけで、すきま時間にいろいろできるんだとわかって、あれもやりたい、これもやってみたいとなった。

少ない自分の自由になる時間を割り振ると、もったいないと思う。(もちろん、たまにお茶したりするのは、楽しいけど)

ものすごく相手へ依存していた

愚痴聞いてくれて、共感してくれて、趣味が一緒で、センスもあって、かつ子ども同士も仲良し・・・なんて人いるわけないのに、図々しくもそんな人を探していたんだと思う。

そんなママ友ができたら、今のつまらない時間を楽しくしてくれるような気がしてたんだ。ものすごく、相手に依存していた。

実際、ママ友ができたら何がしたいの?

そう問われると、何もなかった。

ただ、私の愚痴を聞いてもらうためなら、占いにでもいけばいい。

参観日で寂しいとと思われるのが嫌なだけのために、友だちをつくるなんて、相手に失礼すぎる。

そんな人が自分に近づいてきたら警戒する(笑)

それに、SNSと一緒で、そんなの幻想で、だれかがどこかの一場面で私を見かけたとき、「楽しそう」に見えるかもしれない。それと一緒なんだと思った。

ママ友が欲しいんじゃなくて、いまいちな今から抜け出したかっただけだったんだ。

 ママ友って、子供の友だちのママであって、私の友だちなわけじゃない

 ママ友って、子供の友だちのママであって、私の友だちなわけじゃないんだって思う。

今は、学校にいけば声を掛け合うようなママ友はいるし、週末に子どもの友だちを預かりあったりもしている。

一年に1・2回、お茶したりもする。

私は、人との距離感の取り方がうまくない方だと思うので、これくらいが私にとってはちょうどいい。

こういうママ友が結果的にできたのは、肩の力が抜けたからだと思う。

もし、ママ友ほしいなあと悩んでいる人がいたら、友だちつくるのを頑張って自分をすり減らすより、なんでもいいからやってみたいことや興味のあることしたほうがいいよって思う。DVD見てもいいし、お菓子作りでも、読書でも、ランニングでも。

そうすれば、四六時中にいるようなママ友はできるかわからないけど、声かけるような友だちは自然とできるような気もする。

何より自分自身が今に少しづつでも満足できると思う。