シフォンケーキ焼きました

 10年ぶりにシフォンケーキを焼きました

結婚当初にハマり、いろいろな本を試し、

自分なりのというか、いろんな人のレシピの寄せ集めレシピです。

 

当時、『LEE』や『暮らしのレシピ』を読み、

栗原はるみさんや雅姫さんの生活に憧れていたのを

思い出しました。 

私の好きな「暮らし」のかたち―LEE

私の好きな「暮らし」のかたち―LEE

 

なんだか、懐かしいですね 。

 

現実の生活は・・・

念願の長女が産まれ、

手作りのおかしを出すようなステキ生活を夢見ていたのですが、

現実はそんな風にはいかないものですね。

「寝ない、食べない、離れない」の三重苦で

毎日おんぶして「必死」・「根性」で生活してた部活のような思い出です。

大きくなった今も「根性」が「忍耐」に変わっただけで今もそんなかんじです(笑)

 

しかも、二人そろって、ケーキも生クリームもあまり好きではなく、

シフォンケーキを焼くことはなくなったのです。

 

ただ、卵と時間があったので

急に思い出し、昔のレシピノートを引っ張り出し

焼いてみました。

10年ぶりに自分で焼いたシフォンケーキ

自分好みのしっとり感で

懐かしく、自画自賛ですがおいしかったです。

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※次回は、もう少しきめを整えたい

 

何もできなかった、あっという間の10年だと思っていたけれど、

考え方も暮らし方も少しの変化がありました。

あの頃は若かったなぁと思えるくらいの深みと渋みはもてたような気がします。

これでエグみがとれればいいんだけどね。

 

彼女が会社を辞めた理由

この春、仲の良かった友人が会社を辞めました

 一番大好きだった友人。

知り合ってからは2~3年しかたっていないのですが

尊敬できる、いちばん大好きな友人でした。

職場での立ち位置や家族や生活のこと、

考え方や興味のあることに共通点があり、

少し先輩の彼女と仲良くなっていきました。

でも、去年あたりから

お互い「しんどいね、辞めたいね、でも、辞めたら生活どうなるんだろうね」

そんな話ばかりしていました。

でも、彼女と話しているとマイナスの話をしながらも、

本来自分がこうありたいと願っている姿が

不思議と浮き上がってくるような感覚がありました。

 

やりたいことがあるってすてき

それは、彼女がずっとやりたいことを目指していたからだと思いました。

彼女は10年以上前からセラピストを目指しているそうです。

大学に聴講しに東京まで通ったり、

いろいろな興味のあるセラピーや施術を学んでいるみたいです。

彼女が学んでることは、私も興味があって以前に本で読んだことがあったり・・・いくら話しても時間がないことがしばしば。

何より、セラピストを目指しているだけあって

自分の心の在り方のメンテナンスはさすがだなあと

いつも、感嘆するばかりでした。

 

彼女が辞めた理由

ただ、ここ数年間は

家のことや仕事で手一杯でそこまで時間も気力も体力もないことが辛かったそう。

ただ、好きなことをするため、家族が生活する収入のために、

今の仕事をしているのになんだか本末転倒なことになってしまっている・・・

娘の行事も本来楽しみなのに「また休まなきゃいけない」という気持ちのほうが先に立ってしまう。

家の中も散らかっていて、何かをする気持ちにもなれない。

やってしまう自分の性格もあるだろうけど、結局、できるからという理由で仕事を早く片付けても片付けても流れてくることに、会社やまわりに限界を感じたそうです。

ずっと葛藤の中にいたのだけれど一足先に軽やかに彼女は決断しました。

辞めて一か月たった今、収入は減るけど、ちゃんと定時に帰れる仕事を始めています。

全く後悔はないそうです。

高校と大学に進学した娘たちの準備もゆったりとした気持ちで迎えられたそう。

休日に自分の好きな所へ行き、好きな環境に身を置くたびに

こうあるべきだったんだと思うといっていました。

今はどんどんやりたいことが明確化してきているそう。

私はこの先どうなるんだろう

私は彼女ほどにやりたいことが実際ない。

ただ、こんな生活したいだとかこういう人になりたいとか

そんな漠然としたものくらい。

彼女には「辞めることがすべていいわけじゃないし、今の仕事と自分の生活の折り合いがついて続けれらるのならそれがベストだよ。でも、あのままじゃ私は無理だとおもったんだ。」と言われた。

でも、「やりたいことがないから辞められない」じゃなくて

まずは「自分の理想とするスタイルと仕事のベストバランスを探すこと」をまずは目標にしようと思う。 

波間にて

波間にて

 

 

 

 

最近言われて嬉しかったこと

とてもうれしいことがありました

というのは、

後輩に「一緒に仕事がしたかった」

といわれたのです。

前に一緒に組んだ同僚から

「仕事にくるのが楽しくなった」

「ああいう風に仕事がしたい」

と聞いていて、引継ぎやらで何回か接して

本当にそうだなと思ったといわれ

さらに舞い上がりました。

お世辞もあると思いますが、それでも素直にうれしかったです。

 

そんな風に言われて喜ぶくらいなので

とりたてて「デキる女」なわけではありません。

わからない、できない、困ったことだらけです。

だからこそ

自分がされて困ったことはしないように

わからない人にもわかるようにするように仕事をしてきました。

上司に認められるよりも、同じ立場になる後輩に言われたことが

何よりうれしかったです。

 

承認願望からの脱却の道を模索中ですが(笑)

 やっぱり、誰かに認めてもらうことはうれしいものです。

 

いろいろあったけど

なんだかいい道ができていきそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでもないときの贈り物

 パンの宅急便が届いた

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宛先はずっと仲の良い友達から。

湯河原の美味しいパン屋さんのパン。

BREAD & CIRCUS

遠方に住んでいて年に数回しか会えないけど

学生時代からのずっとの友達。

「出張でこっちに来てるけど

直帰で帰るから今回は会えないんだよ」

なんてやりとりの後

思いがけずパンの宅急便が届いた。

以前話していた

彼女が一番好きなパン屋さんのパン。

あえて

何のメッセージもないのが

彼女らしいなあと思った。

 

私がしんどいときや何か終えたとき

何の前ぶれもなく

送ってきてくれる。

意味があるのかないのか

わからないけれど

私は勝手に解釈して勝手に感謝している。

そして、私もなんとなく

同じことをしている。

なんだか、不器用な二人だと思う。

 

職種も生活も違うし

じゃあ、今週話聞くから、飲みにいこう

とはならない距離だけど

彼女が頑張ってるから私も頑張れる

遠くにいるけどめちゃくちゃ近くにいる。

 

誕生日でもお中元でも

なんでもないけど

ただ相手を思って贈る贈り物って

こんなに幸せな気持ちになるんだなと

改めて思いました。

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

小学生と東京観光~「岡本太郎美術館」と原宿

誕生日は、その子のお望みのことを

今年の長女のリクエストは

「原宿にお友達とお母さんと行きたい」

「テレビでみたパンケーキを食べにいってみたい」

「修学旅行でちょっとしか行けなかった浅草で

 おせんべいとか買い食いしたい」

でした。

(ちなみに次女は、アナに会いたいでした)

ということで

今回のコースはこんな

岡本太郎美術館

→人気のパンケーキを食べる

→竹下通り散策

→浅草で食べ歩き

東急ハンズで文房具を買う

 

まずは「岡本太郎美術館」へ

芸術は爆発だ!」の人だよといっても「??」なJS。

(小6曰くJSとは女子小学生のことだそうです)

太陽の塔知らない?」

「社会の教科書のやつだーー」

時代の流れを感じました。

太陽の塔しかしらない娘たちも意外と楽しんでました。

自分の知識の範囲外のことを

感じてほしいので

いつも、1か所は「お母さんセンス」を入れてみます。

それが気に入っても、退屈でもいいんです。

自分ではチョイスしない場所を感じて

「つまんねー」って思った思い出でも

頭のどこかに1ピースいれといてほしいな

って思ってます。

JSたちは入口にあるガチャがめちゃくちゃツボなご様子。

 

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岡本太郎記念館

 

先に予約をとっておいた「幸せのパンケーキ」へ

表参道についたら、まず、予約を。

1~2時間待ちなので

名前だけ書いておいてお出かけしたほうがいいようです。

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超ふわっふわの卵感の強いスフレパンケーキでした。

母はオーソドックス系が好きなのですが

JSはお喜びのご様子。

ふんわりだけどなかなかのボリュームで

3人で2皿で満足。

でも、まわりの女の子たちは一人1皿完食してました。

 

JSの聖地竹下通りへ

原宿原宿

っていうわりには

安いアクセサリーをちょこっと買って終わり。

「これなら近所のショッピングモールでいいんじゃ・・・」

「『原宿に行く』『東京で買った』ことに

  意味があるんだよーー」

JSたち。

たしかに、自分の若いときもそうだったな。

友だちとはじめて訪れた渋谷。

当時、都会にしかなかった「LOFT」や「ソニプラ」の

ボールペンや輸入のお菓子、カチューシャ。

「109」や原宿の古着屋で買った洋服。

今思えば、地元にだって探せば売っていたものだと思う。

でも、そこに降り立ったことが

なんだか、大人になったような

おしゃれになった気がした。

昔は、ネットもないし

東京にいかなきゃないものや

ショップがたくさんあった気がする。

もっと遠い存在で、憧れの場所だった。

それとも、今は、自分が慣れただけなのかな。

子どもたちには、

昔ほどの「東京信仰」は確かにないけれど

まだまだ憧れの東京みたいです。

いつの日か、いや、

あっというまに

友だちと東京へも出かけていくようになるんだろうな。

 

そして、

修学旅行では渋滞のため時間がなくて

一瞬で終わっってしまった浅草で

おみくじ引いたり

おせんべい食べたり

写真撮ったり

きゃっきゃっと楽しそうでした。

母は帰りのバスでぐったり爆睡でしたが

女子たちは買ったものを見せ合ったり

デパ地下で買ったお菓子やパンを食べたり

最後までご満足いただけたようです(^^♪

楽しい青春を

交通費考えたら、高ーいイヤリングとメモ帳だけど

10代のいろいろなわくわくした気持ちは

大切にしてあげたいなと母は思う。

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岡本太郎記念館ガチャ

考え方の癖を手放したい

考え方の癖「ばっかり癖」

「わたしばっかり、仕事をしてる(気がする)」

「わたしばっかり、損してる(気がする)」

「わたしばっかり、貧乏くじひいてる(気がする)」

「あのひとばっかり、えこひいきされてる(気がする)」

ばかりバカリばっかり・・・

のエンドレスループ

出来事だけをみればいいだけなのに。

結局、損か得かなんて簡単には、わからないし、

わたしばかりが損なのかも、実際はわからない。

自分が知らないことだってたくさんある。

 そんな損得ばかり考えること自体ナンセンスだと思う。

自分で自分を苦しめていることもわかっているんだけど。

 

でも、頭の中は勝手に

些細な出来事が引き金で

「え、なんで、また、わたし?」

となり、

「あのときも、このときも」と

昔の出来事を頭が勝手に呼び戻し

勝手に、過去の終わった出来事にすら

イライラしてしまう。

例えば「お菓子を1個少なかった」

というさもない出来事が

おさえきれないほどの悲しい出来事に

頭の中でいつの間にか変化している。

そして、

「わたしばっかり。。。」となり

ときには

相手にイラつき

ときには

自分に落ち込む

 

おそらく、長女気質なんだと思う。

小さい頃からの、些細な我慢。

弱音を吐けない。

こうしなければっていう勝手な思い込み。

できない~って軽くいえない。

やって~ってうまくいえない。

 

ここを克服しない限り

場所を変えても

今の目の前にいるモンスターは

姿形を変え、場所を変え

自分の前に現れてくる。

 すでに、ここでも「克服しなければならない」と

考え、自分に枷をつくっている。。。

 

ほんの少しの予感

ここ数年苦しかったときは

完全にこのモンスターにとりつかれていたと思う

今もまだまだ現在進行形だけど

そのことに気づいただけ

違うステージには行ける気がする。

まだまだ、その方法はわからないけど

目の前の敵を倒すことや逃げることじゃない方法じゃないことは

なんとなくわかった

もしかしたら、気づきが

何かその世界を変えられるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書感想『大きな鳥にさらわれないよう』川上弘美著

『大きな鳥にさらわれないよう』をよんで

 

大きな鳥にさらわれないよう

大きな鳥にさらわれないよう

 

 

帯なしでいきなり読んだので

どんな話かまったく想像つかず

はじめは話についていくのが

結構大変でした。 

(登場人物の名前がなかなか飲み込めず・・・)

でも、内容はするすると

水のように入っていきます。

 

冒頭の

女たちがガーゼのうすものをまとい

湯あみに出かける場面から

すぐに

川上弘美ワールド」が広がります。

近未来を書いているのだけど

そこに流れているのは

今よりも昔のお話を聞いているような

古典を現代訳したような物語でした。

 

それぞれの視点から描かれた

小さな短編が

最終的につながっていく構成になっていて、

最終的な物語全体のオチは

私は「ふーん」という印象だった。

個人的には

いろいろな意味や警鐘を含めるよりも

ただただ、近未来の今昔物語集のように

終わるほうが

もっと余韻が残った気がしました。

 

結末を追うというよりも

川上弘美独特の

ファンタジーと狂気の間の雰囲気が読みたいので

十分楽しかった。

内田百閒が好き人にもおすすめです。