小学生と東京観光~「岡本太郎美術館」と原宿

誕生日は、その子のお望みのことを

今年の長女のリクエストは

「原宿にお友達とお母さんと行きたい」

「テレビでみたパンケーキを食べにいってみたい」

「修学旅行でちょっとしか行けなかった浅草で

 おせんべいとか買い食いしたい」

でした。

(ちなみに次女は、アナに会いたいでした)

ということで

今回のコースはこんな

岡本太郎美術館

→人気のパンケーキを食べる

→竹下通り散策

→浅草で食べ歩き

東急ハンズで文房具を買う

 

まずは「岡本太郎美術館」へ

芸術は爆発だ!」の人だよといっても「??」なJS。

(小6曰くJSとは女子小学生のことだそうです)

太陽の塔知らない?」

「社会の教科書のやつだーー」

時代の流れを感じました。

太陽の塔しかしらない娘たちも意外と楽しんでました。

自分の知識の範囲外のことを

感じてほしいので

いつも、1か所は「お母さんセンス」を入れてみます。

それが気に入っても、退屈でもいいんです。

自分ではチョイスしない場所を感じて

「つまんねー」って思った思い出でも

頭のどこかに1ピースいれといてほしいな

って思ってます。

JSたちは入口にあるガチャがめちゃくちゃツボなご様子。

 

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岡本太郎記念館

 

先に予約をとっておいた「幸せのパンケーキ」へ

表参道についたら、まず、予約を。

1~2時間待ちなので

名前だけ書いておいてお出かけしたほうがいいようです。

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超ふわっふわの卵感の強いスフレパンケーキでした。

母はオーソドックス系が好きなのですが

JSはお喜びのご様子。

ふんわりだけどなかなかのボリュームで

3人で2皿で満足。

でも、まわりの女の子たちは一人1皿完食してました。

 

JSの聖地竹下通りへ

原宿原宿

っていうわりには

安いアクセサリーをちょこっと買って終わり。

「これなら近所のショッピングモールでいいんじゃ・・・」

「『原宿に行く』『東京で買った』ことに

  意味があるんだよーー」

JSたち。

たしかに、自分の若いときもそうだったな。

友だちとはじめて訪れた渋谷。

当時、都会にしかなかった「LOFT」や「ソニプラ」の

ボールペンや輸入のお菓子、カチューシャ。

「109」や原宿の古着屋で買った洋服。

今思えば、地元にだって探せば売っていたものだと思う。

でも、そこに降り立ったことが

なんだか、大人になったような

おしゃれになった気がした。

昔は、ネットもないし

東京にいかなきゃないものや

ショップがたくさんあった気がする。

もっと遠い存在で、憧れの場所だった。

それとも、今は、自分が慣れただけなのかな。

子どもたちには、

昔ほどの「東京信仰」は確かにないけれど

まだまだ憧れの東京みたいです。

いつの日か、いや、

あっというまに

友だちと東京へも出かけていくようになるんだろうな。

 

そして、

修学旅行では渋滞のため時間がなくて

一瞬で終わっってしまった浅草で

おみくじ引いたり

おせんべい食べたり

写真撮ったり

きゃっきゃっと楽しそうでした。

母は帰りのバスでぐったり爆睡でしたが

女子たちは買ったものを見せ合ったり

デパ地下で買ったお菓子やパンを食べたり

最後までご満足いただけたようです(^^♪

楽しい青春を

交通費考えたら、高ーいイヤリングとメモ帳だけど

10代のいろいろなわくわくした気持ちは

大切にしてあげたいなと母は思う。

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岡本太郎記念館ガチャ

考え方の癖を手放したい

考え方の癖「ばっかり癖」

「わたしばっかり、仕事をしてる(気がする)」

「わたしばっかり、損してる(気がする)」

「わたしばっかり、貧乏くじひいてる(気がする)」

「あのひとばっかり、えこひいきされてる(気がする)」

ばかりバカリばっかり・・・

のエンドレスループ

出来事だけをみればいいだけなのに。

結局、損か得かなんて簡単には、わからないし、

わたしばかりが損なのかも、実際はわからない。

自分が知らないことだってたくさんある。

 そんな損得ばかり考えること自体ナンセンスだと思う。

自分で自分を苦しめていることもわかっているんだけど。

 

でも、頭の中は勝手に

些細な出来事が引き金で

「え、なんで、また、わたし?」

となり、

「あのときも、このときも」と

昔の出来事を頭が勝手に呼び戻し

勝手に、過去の終わった出来事にすら

イライラしてしまう。

例えば「お菓子を1個少なかった」

というさもない出来事が

おさえきれないほどの悲しい出来事に

頭の中でいつの間にか変化している。

そして、

「わたしばっかり。。。」となり

ときには

相手にイラつき

ときには

自分に落ち込む

 

おそらく、長女気質なんだと思う。

小さい頃からの、些細な我慢。

弱音を吐けない。

こうしなければっていう勝手な思い込み。

できない~って軽くいえない。

やって~ってうまくいえない。

 

ここを克服しない限り

場所を変えても

今の目の前にいるモンスターは

姿形を変え、場所を変え

自分の前に現れてくる。

 すでに、ここでも「克服しなければならない」と

考え、自分に枷をつくっている。。。

 

ほんの少しの予感

ここ数年苦しかったときは

完全にこのモンスターにとりつかれていたと思う

今もまだまだ現在進行形だけど

そのことに気づいただけ

違うステージには行ける気がする。

まだまだ、その方法はわからないけど

目の前の敵を倒すことや逃げることじゃない方法じゃないことは

なんとなくわかった

もしかしたら、気づきが

何かその世界を変えられるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書感想『大きな鳥にさらわれないよう』川上弘美著

『大きな鳥にさらわれないよう』をよんで

 

大きな鳥にさらわれないよう

大きな鳥にさらわれないよう

 

 

帯なしでいきなり読んだので

どんな話かまったく想像つかず

はじめは話についていくのが

結構大変でした。 

(登場人物の名前がなかなか飲み込めず・・・)

でも、内容はするすると

水のように入っていきます。

 

冒頭の

女たちがガーゼのうすものをまとい

湯あみに出かける場面から

すぐに

川上弘美ワールド」が広がります。

近未来を書いているのだけど

そこに流れているのは

今よりも昔のお話を聞いているような

古典を現代訳したような物語でした。

 

それぞれの視点から描かれた

小さな短編が

最終的につながっていく構成になっていて、

最終的な物語全体のオチは

私は「ふーん」という印象だった。

個人的には

いろいろな意味や警鐘を含めるよりも

ただただ、近未来の今昔物語集のように

終わるほうが

もっと余韻が残った気がしました。

 

結末を追うというよりも

川上弘美独特の

ファンタジーと狂気の間の雰囲気が読みたいので

十分楽しかった。

内田百閒が好き人にもおすすめです。

 

 

 

 

 

他人軸ではなく自分軸で感じたい

Halさんでお買い物

先日、職場を離れる人へのお礼を買いにHalへ

お店に後藤由紀子さんがいらっしゃいました。

静かに微笑んで

商品の説明をしてくださる後藤さんは

私の憧れの人です。

いろいろな人と

いろいろな企画をし、

楽しいなかにも、

忙しくもあり、様々な折衝だってあるだろうと思います。

(私の想像ですが)

でも、いつもふんわりと

肩の力を抜いて

自分をきちんと持って

楽しんでいるように思えます。

きっと、後藤さんの中で

モノへの審美眼もさることながら

行動への審美眼もあるんじゃないかなと思います。

 

他人軸から自分軸で感じたい

まわりがどう思うかばかりを気にして、

結局、自ら望んで振り回されている・・・

だから、

環境が変わっても

やることが変わっても

苦手な人がいなくなっても

嫌なことなくなっても

ほっとしたのも束の間

ゾンビのように

不平不満がやってくる。

 

他人軸ではなく、

自分軸で考え、動き、感じたい。

他人に媚びる無理した笑顔ではなく

自分が今を楽しんでいる笑顔でいられるように

したいなと思います。

 

このタイミングで

halさんに行き、久しぶりに

後藤さんを拝見したのも

きっと何か意味があったのかな。

 

Go Go Round This World!

Go Go Round This World!

 秋の歌だけど・・・

 

 

 

 

 

 

 

デスクの断捨離

デスクの断捨離

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人事異動のため

ひとけのないオフィスで

デスクを空っぽにしてきました。

自分の必要なものを

箱詰めした後、

前任者からの

見たこともない資料だとか

ため込まれていたファイルをばさばさと

ひとまとめてに捨ててきました。

パンパンだった引き出しは

見事にすっきり。

断捨離成功です。

もっと早くにこうしていれば

もしかしたら、

もう少し

気持ちも切り替わったのかもしれません。

必要なものがわかっているからこそ

でも、なかなか

今の仕事に熟知しないと

捨てる勇気がでませんでした。

「もしかしたら、必要かも・・」

「もしかしたら、重要だから置いて行ってあるのかも」

と考えてしまい、決断ができませんでした。

今、見返すと

「ただ単に片付けずにおいて行った」だけ

「参考資料にとおいていった」だけ

「面倒で見返すこともなくよくわからず捨てられなかった」だけ

の歴代前任者の負の遺産でした。

おいておかれた資料は

理由がわからないから、

捨てる勇気がでずに、

歴代にわたりどんどんたまり

年季が入れば入るほど

「重要」な気がしてきて

引き出しのコヤシどころか

どうでもいい悩みをつくることにもなりました・・・

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次の担当者のためにも

手遅れになる前に

バッサリ捨てて

余計な仕事を増やさないようにすることにしました。

自分がただ単に参考資料としておいていくものは

本当に自分が次年度見たいものだけにし、

正直、数か月後、一年後に「これどーしたいいの?」

と聞かれて即答できる、記憶力がないので

「○○用資料です。半年見なかったら捨ててください」

「○○が終わったら不要です」

などと付箋をはることにしました。

 

家の中のミニマム化計画が役立ってる

これって

家の中の「もの」のミニマム化と同じやりかただなと

やった後に思いました。

 

 必要なものをピックアップする

 残ったものを捨てる

 家族の人にもわかりやすくする

 どこになにがあるか一目瞭然にする

 ↓

結果

 無駄な悩みが減る

 欲しい資料(洋服や日用品)がすぐに出せる

 「これどこにある?」と聞かれるの煩わしさが消える

  etc

 

今さらながら

仕事ができる人は

きっと常時、頭の中もデスクもPCも

きちんと取捨選択し、整理されているんだろうなと思いました。

次の担当では

初めから

そこを意識してみようというのが

まず一番目の目標です。

シンプリスト初心者ですが

去年の自分とは

変わったという実感がもてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘の卒業式

長女がとうとう小学校を卒業しました

小学生と中学生って

5年生と6年生の違いの

×100くらい変わってくる気がする

自分たちの頃は

一緒に鬼ごっこしていた近所のお姉さんが

鬼のような先輩に変わっていたり

ドッチボールをしていた休み時間は

男子を意識した

ソワソワした話ばかりになった

部活が中心になり

友だちも変わり

彼氏ができて

自分の部屋にいることが多くなり

家族でいることも少なくなった

 

今はどうなのかな

3月の今は

相変わらず

コナン君ごっこだとか

レゴとかやって遊んでる

こんな風まだ、いっしょに寝てるけど

そのうち反抗期になるから、今のうちにくっついとこーというと

そんなことないよ

ずーっと今のまんまだよと娘は言う

でも、本人は気づいていないけれど

少しずつ

彼女と私の間には

見えない膜ができ始めている

寂しいけど

 

人間関係だとか恋愛関係だとか

将来のことや勉強のこと

悩みごとも

複雑になっていく

母としては心配事はさらに増えるけれど

どうしたらよいのか正直わからなくなると思う

私も初めてだから

自分の過去になぞらえることしか

できないし

そして、どんなにもやもやが苦しくても

また、素晴らしくても

共感することしかできない

彼女しかどうにもできない

 

数年間ののち

膜に覆われて、私の知らない彼女の世界ができて

脱皮した時

一緒に

お酒を飲んだり

仕事の話や彼氏の話をしたり

また、出かけたりできたらいいなあと思う

自分もそのときまで

いい風に年を重ねられるようにしたいな

 

サヨナラCOLOR

サヨナラCOLOR

 

 

 

 

 

 

 

『一汁一菜でよいという提案』はただの家事負担を減らす話じゃなかった

『一汁一菜でよいという提案』土井善晴著をよんで

 

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

 

 

Palsystemの記事を拝見し、気になっていた本

記事だけ読んで、最低限の家事(食事)で

主婦の肩の荷を下ろそうというような本で

具だくさんの汁物レシピが掲載されているのかと思ったら

いい意味でぜんぜん違かった。

きっと、自分の中のベバイブルになる素敵な本でした。

記事を読んで、夕飯づくりに追われてイライラするなら

これもありかも、なんて考えて読んでみようと思っていただけけなのですが、

マクロビなどに通じるような

哲学的な生き方の本でした。

一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。

一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、

日本人としての「生き方」だと思います。

『一汁一菜でよいという提案』土井善晴

 

 

「ハレ」と「ケ」

このなかで、「ハレ」と「ケ」の文化について書かれています。

確かに、このスタイルからしたら

今は、毎日が特別料理です。

 

私の祖母は料理が得意ではありませんでした。

祖母は何も困っていないようでした。

実際、祖母が作るのは

味噌汁・ごはん・常備菜。あとは魚を煮たり、目玉焼きだったり。

母のように、凝った料理や洋風のものが作れないだけでした。

昔はどうしてたの?と聞いたとき

だって、揚げ物だとかはお肉屋さんで買えばいいし、

ハンバーグや洋食はお店で食べればよかったのよ。

といっていたのを思い出しました。

街へおでかけした日に、揚げ物を買ってお土産にし、特別な夕飯にする

たまにおしゃれして、洋食屋さんやお寿司屋さんでいただく。

そんな生活だったのだと。

 

「一汁一菜」=「お鍋+ごはん」ですよね?!

栄養はきっとあるし、子どもたちは喜んでいるけど

手抜き料理かなと少し後ろめたさを感じていたものが

すっとなくなりました。

 

bluebeans732.hatenablog.com

子どもが生まれる前まで、趣味は料理・お菓子作りでした。

ダンナの帰りも遅かったし

外食も多かったから

まっすぐ仕事から帰って、夕飯を作って食べ、

夜、時間があるとケーキを焼いたりするのが

ストレス解消でした。

なのに、二人の子供と共働き生活の中、

毎日、以前のような料理を作らなきゃと思っていると、

イライラし、料理が好きだったのに

楽しめなくなっていました。

一時、半調理品での時短をやったときは

なにかしっくりこなくて、すぐにやめてしまいました。

 

この本の中で「食べ飽きないもの」として、

 ごはんと味噌汁のすごいところは、毎日食べても食べ飽きないことです。食べ飽きない食べ物というのは、どういうものでしょうか。

(中略)

 だいたい、人工的なものというのは、食べてすぐにおいしいと感じるほどに味がつけられています。そういった人口的な味付けをしたおかずというのは、また、すぐに違う味付けのものが食べたくなります。

また、

プレッシャーをまともに受け取った人たちは、加工食品を使って、別の食材と混ぜ合わせるとか、出来上がったものにトッピングしたりして

(中略)

わたしにはそちらのほうが手抜き料理に見えます。

と書かれています。

「まさにそういうことか」と。

 

いい意味で、手を抜く加減を覚えてから

また、お菓子をつくってみようと思えるようになり

料理が楽しみに変わりました。

 

むしろ、春になっても

本当の意味での一汁一菜の生活を

やってみようという気持ちになりました。

今後の家族の反応や自分自身の変化が楽しみです。